「テラスコーレ」という言葉を、かつて思いついた。
「おひさま地球子屋(てらこや)」というフリースクールを行っていて、
それを一度閉めたのが2007年頃だから、その頃であったと思う。
その時点では、検索エンジンで探してみても、
全く見つからなかったので、おそらく、日本でも、世界でもまだ無い、
自分のオリジナルだと思われる。
「テラスコーレ」の言葉の由来は、
「テラ」は「土」「大地」「地球」を表すラテン語の「terra」と、
「寺子屋」の響きの「てら」をかけあわせたもの。
そして、「スコーレ」は、
「school」の語源で「余暇」「暇」を表すギリシャ語。
古代のギリシャで、仕事との終わった後の余暇に、
広場(アゴラ)で集まり、話しあい、また議論し合う中で、
自然に学びが生じたことから「学校」の意味に転じた言葉とのこと。
「学校」は、現代の日本では、「忙しい」イメージだが、
西洋の語源では、逆に「暇」が元になっているというのは、面白い。
暇から始まる学び。
人との交流から生まれる学び。
生きることの中にある、学び。
生涯学習としての学び。
私は、「学び」「教育」というものが、
「こども」に向けられたもの、という狭さに違和感を覚えていた。
大人は決して完成した存在ではない。
人生も、社会も、常に改善が求められている。
その意味で、生きている限り、学びは続く。
子どもが通う学校は、「教育」の中で、一部ではあるが,全てではない。
矮小化された「教育」から、より言葉本来の意味での「教育」を体系立ててゆくため、
相応しい言葉がないかと10代の終わり頃から思い続け、
30代半ばで思いついたのが「テラスコーレ」だった。
ギリシャ語では、「education」の語源として、
「educare」という言葉がある。
これは、「爪で掻く」ということ。
「爪で掻き出す」ということが、「引き出す」という意味に転じ、
「能力を引き出す」という意味合いとしての「教育」=educationに転じていった。
educationは、本来、「教える」というよりも「引き出す」という意味が元である、ということも示唆深い。
日本では「教育」の「教」が,現代では強調されているように見える。
しかし、「育」の方向が重要であることは、疑いようがない。
educationの語源に似ているのは、「育」の方であると見える。
日本で始める教育の流れを、「テラスコーレ」という,カタカナ語で名付けるのは、
いささか不本意な気もしないではないが、
「寺子屋」の精神を中に秘め、
いつか世界にも広がっていくイメージを持って、
この数百年で優勢になった西洋系の言語の衣をまとった用語でいく、
というのは、まあ、順当でもあろうか、という気がしている。
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