仕事や責任あるものごとに関して「遊びじゃないんだから」という言葉がある。
男女関係で「遊びだったのね」という言葉なども。
「遊び」という言葉は、かように、日本語では幾分ネガティブな響きがある。
本来遊びは、非常に豊かなものだ。
そして非常に大事なものでもある。
「教育の基礎は何か?」と私が問いかけられたならば、
「遊び」を重要な基礎であると答えざるを得ない。
遊びには「試行錯誤」の機会がある。
幼児と大人の間には、目一杯の愛情を傾ける機会となる。
「失敗してはいけない」ということを最初から意識すると、
物事はなかなか習得しにくい。
一定の試行錯誤期間があり、遊ぶように失敗を重ねたり、
実験する中で、だんだん修練が為されていく。
言葉や概念には、なんでも正と負の側面がある。
遊びに関しては、もっと正の側面が再評価されても良いと、特に子育てや教育の分野では思わずにはいられない。
私は、フレーベルという教育者に親近感を覚えるものであるが、
フレーベルは、「遊び」を非常に重要視した。
現代の教育では、幼児教育から、学校教育への移行が、
非常に大きなギャップがあり、子どもたちにとって、大きなハードルではないかと思う。
私自身も、小学校に上がったとき、それまでの保育園での遊びの環境から、
机に座り続ける世界になってしまったことに、大きな驚きと、戸惑いを覚えたことを記憶している。
自然溢れる幼児教育環境にいた子どもたちが、
学校教育に入ると、かなりの不適応を起こすケースをいくつか聞いたことがある。
さもありなん。
小学校にも、もっと遊びの要素が取り入れられれば良いのに、と常々思う。
そのためには、今の教室は人数が多すぎるのだろう。
少子化が進み、就職難の時代であるから大人の人手も余り、
学校の教室も余り始めている中で、
もっと少数のクラスを編成する基盤が、状況的にも整ってきていると考えられる。
日本の本当の教育改革は、これからが本番と思うのは私だけだろうか。
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