「プロジェクト学習」という取り組み方がある。
何かのテーマを決めて、
課題や背景をよく見て、課題解決策を探っていく、
というような学習方法で、
まあ、日常の中で、気づかずやっているようなことであるといえばそうだ。
キルパトリックというアメリカの教育者が提唱したもので、
彼は、デューイというやはりアメリカの教育者の弟子。
デューイは、「問題解決学習」ということを、それに先駆けて実践してきており、
教育法の系列が見える。
デューイは、フレーベルの教育法に学ぶところが大きく、
フレーベルのロマン主義、象徴主義は大いに批判しているが、
フレーベルの実際的なメソッドについては、継承者であると言えると、著作「学校と社会」の中で述べている。
フレーベルは、「労作」と称して、
子ども達が自己学習、働くことを通して学ぶ、ということを重視した。
フレーベルはキンダーガルテンで知られているが、
それ以前に、寄宿制の学校を作り、そのカイルハウ学園にて、
農作業などを子ども達の日課としたことなどはあまり知られていない。
しかし、明らかにその流れは、
薄まりながらも現代の幼稚園に受け継がれ、
また、アメリカの学校教育の主流を形成したデューイにも影響を及ぼし、
アメリカ式の教育システムに隠然たる影響を及ぼした。
「プロジェクト学習」「問題解決学習」は、今の時代の日本に必要であると思う。
また、子どものみならず、大人にも常に必要とされている。
解決されるべき課題は山積みであり、
それに向けて、我々は、記憶力主体、一問一答式の学習主体のところから、
課題解決型、
自己相互実践学習の比重を強めることを、提言したい。
2014年9月7日日曜日
言語習得。間違えることの価値。
英語を学習して、結局、「間違えてナンボ」という側面を馬鹿に出来ない、
とたびたび思う。
言語習得に際して、
「間違い」を恐れる心は邪魔だ。
「間違えながら修正していく」ということが、
言語獲得の早道ではないだろうか。
それを、机上の学習中心、文法中心になると、
「間違えること」を恐れる心がどうしても涵養されてしまう。
問題だ。
私は、「間違いながらでも伝える」ということを、自分に許してから、
英語が話せるようになった。
それまでは、大学受験でも、それなりに英語力の模試などで成績をあげても、
しゃべれなかった。
「間違い」を許す。
それが、コミュニケーション言語としての外国語習得の早道だと、
私は思う。
もちろん、文法の学習に意味がないとは言わない。
比重と順番が、基本的に逆ではないか、と思うところだ。
口を使って、しゃべってみること。
何せ、それが非常に重要。
トロイ遺跡を発見し、10数カ国語を使いこなしたシュリーマンのやり方からも、
そのことは分かる。
彼は、各国の教会に行き、
聖書を読み、ぶつぶつ唱えていたという。
聖書の内容は共通なので、
同一箇所を、その国の言語ではこう言うのだな、という基軸として、
彼は言語を習得していったとのこと。
面白い。
言語習得のコツを、シュリーマンに学びたい。
とたびたび思う。
言語習得に際して、
「間違い」を恐れる心は邪魔だ。
「間違えながら修正していく」ということが、
言語獲得の早道ではないだろうか。
それを、机上の学習中心、文法中心になると、
「間違えること」を恐れる心がどうしても涵養されてしまう。
問題だ。
私は、「間違いながらでも伝える」ということを、自分に許してから、
英語が話せるようになった。
それまでは、大学受験でも、それなりに英語力の模試などで成績をあげても、
しゃべれなかった。
「間違い」を許す。
それが、コミュニケーション言語としての外国語習得の早道だと、
私は思う。
もちろん、文法の学習に意味がないとは言わない。
比重と順番が、基本的に逆ではないか、と思うところだ。
口を使って、しゃべってみること。
何せ、それが非常に重要。
トロイ遺跡を発見し、10数カ国語を使いこなしたシュリーマンのやり方からも、
そのことは分かる。
彼は、各国の教会に行き、
聖書を読み、ぶつぶつ唱えていたという。
聖書の内容は共通なので、
同一箇所を、その国の言語ではこう言うのだな、という基軸として、
彼は言語を習得していったとのこと。
面白い。
言語習得のコツを、シュリーマンに学びたい。
カタカムナのおもしろさ
日本には、後世の創作と目されることもある、様々な古代文字がある。
私は門外漢で十分分からないが、
「カタカムナ」は、非常に深遠なものを感じ、
後世の人間が創れたとしたら、恐ろしく深いセンスと直観力の持ち主で驚異だし、
まあ、普通考えるに、楢崎氏の創作などとは思えない。
カタカムナは、子ども達とかつて唱えていて、
愉しいものであった。
5首と6首をあわせると48文字が網羅されており、
いろは歌のような網羅性と深い意味合いが感じられる。
「カタカムナ音読法」を伝えておられる松永氏のワークも、
興味を覚える。
難しいことが分からなくても、
一音一音音読していくと、よくわかるし、
それ以降の時代の日本語もよく分かるようになる、という。
面白い。
カタカムナは奥が深いことだけは感じる。
「相似象」という機関誌は、何度か何度か繰り返し読んだが、
十分な理解には達しない。。
時間のかかる学び、だろうか。
これからも愉しく付き合ってゆきたい。
私は門外漢で十分分からないが、
「カタカムナ」は、非常に深遠なものを感じ、
後世の人間が創れたとしたら、恐ろしく深いセンスと直観力の持ち主で驚異だし、
まあ、普通考えるに、楢崎氏の創作などとは思えない。
カタカムナは、子ども達とかつて唱えていて、
愉しいものであった。
5首と6首をあわせると48文字が網羅されており、
いろは歌のような網羅性と深い意味合いが感じられる。
「カタカムナ音読法」を伝えておられる松永氏のワークも、
興味を覚える。
難しいことが分からなくても、
一音一音音読していくと、よくわかるし、
それ以降の時代の日本語もよく分かるようになる、という。
面白い。
カタカムナは奥が深いことだけは感じる。
「相似象」という機関誌は、何度か何度か繰り返し読んだが、
十分な理解には達しない。。
時間のかかる学び、だろうか。
これからも愉しく付き合ってゆきたい。
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