現代の「積み木」は、概ね、フリードリヒ・フレーベルという幼稚園の創始者が基礎を作ったと言える。
もちろん、もっと昔から、木ぎれを積んで遊ぶことや、積み木的なものはあったに違いないが、体系的に開発し、そして、育児や教育に応用したのは、フレーベルだった。
「恩物」と日本では訳された、積み木や遊具は、フレーベルの後の時代の教育者ルドルフ・シュタイナーからすると、あまり子どもによろしくない遊具だと見えたようだ。
シュタイナーは、自然物を子どもには与えるべき、という考えが強い。
普通の木ぎれや石やその他様々な自然物。
直線的でなく、できるだけ自然なもの。
それらは、確かに、子どもに良い。
一方、シュタイナーはかなりフレーベルの積み木を良くないものだと見ていたのだが、
そこまでダメだろうか、と私は逆に疑問を感じる。
折衷案的だが、
どちらもあって良いのでは、と思う。
ただ、現代では、フレーベルが考えた積み木よりも、
更に発展した、プラスチックのブロックやその他人工的なものが溢れかえっている状況において、
シュタイナーが重視した、自然物に子どもが触れることの意味は、
以前よりも大きいかもしれない。
その上で、
フレーベル的な遊具も、別にあって良いと私は思う。
この記事は、シュタイナー教育に関心の無い方以外には、あまり意味がないかもしれない。
が、シュタイナーをかつて私は色々読み込み、
教育の実践にも適用する試みをし、
良さと難しさの両方を体感して、様々に思うことが生じた中で、
この、フレーベル批判と積み木批判について、思うところがずっとあるので、書き記してみた。
シュタイナーと付き合うのは、なかなか面白く、また困難の伴う作業だ。
私は、シュタイナーの難解な哲学より、
フレーベルの、周囲から「バカ爺さん」と呼ばれながらも、晩年に至っても幼児と遊び続けたシンプルさに、
親近感を覚えるものだ。
シュタイナーは、その名前と共に難解な哲学の学びと併せて教育運動が続けられ、
一方、フレーベルは、彼自身の名前は忘れられているも、「幼稚園(キンダーガルテン)」として、彼の子どもたちへの愛が形になった機関が、世界中に広がっていることは、
両者の違いが象徴的に表れているものだと、私には見える。
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