英語を学習して、結局、「間違えてナンボ」という側面を馬鹿に出来ない、
とたびたび思う。
言語習得に際して、
「間違い」を恐れる心は邪魔だ。
「間違えながら修正していく」ということが、
言語獲得の早道ではないだろうか。
それを、机上の学習中心、文法中心になると、
「間違えること」を恐れる心がどうしても涵養されてしまう。
問題だ。
私は、「間違いながらでも伝える」ということを、自分に許してから、
英語が話せるようになった。
それまでは、大学受験でも、それなりに英語力の模試などで成績をあげても、
しゃべれなかった。
「間違い」を許す。
それが、コミュニケーション言語としての外国語習得の早道だと、
私は思う。
もちろん、文法の学習に意味がないとは言わない。
比重と順番が、基本的に逆ではないか、と思うところだ。
口を使って、しゃべってみること。
何せ、それが非常に重要。
トロイ遺跡を発見し、10数カ国語を使いこなしたシュリーマンのやり方からも、
そのことは分かる。
彼は、各国の教会に行き、
聖書を読み、ぶつぶつ唱えていたという。
聖書の内容は共通なので、
同一箇所を、その国の言語ではこう言うのだな、という基軸として、
彼は言語を習得していったとのこと。
面白い。
言語習得のコツを、シュリーマンに学びたい。
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