2014年9月7日日曜日

言語習得。間違えることの価値。

英語を学習して、結局、「間違えてナンボ」という側面を馬鹿に出来ない、
とたびたび思う。

言語習得に際して、
「間違い」を恐れる心は邪魔だ。

「間違えながら修正していく」ということが、
言語獲得の早道ではないだろうか。

それを、机上の学習中心、文法中心になると、
「間違えること」を恐れる心がどうしても涵養されてしまう。

問題だ。

私は、「間違いながらでも伝える」ということを、自分に許してから、
英語が話せるようになった。

それまでは、大学受験でも、それなりに英語力の模試などで成績をあげても、
しゃべれなかった。

「間違い」を許す。
それが、コミュニケーション言語としての外国語習得の早道だと、
私は思う。

もちろん、文法の学習に意味がないとは言わない。
比重と順番が、基本的に逆ではないか、と思うところだ。

口を使って、しゃべってみること。
何せ、それが非常に重要。
トロイ遺跡を発見し、10数カ国語を使いこなしたシュリーマンのやり方からも、
そのことは分かる。

彼は、各国の教会に行き、
聖書を読み、ぶつぶつ唱えていたという。
聖書の内容は共通なので、
同一箇所を、その国の言語ではこう言うのだな、という基軸として、
彼は言語を習得していったとのこと。

面白い。

言語習得のコツを、シュリーマンに学びたい。

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